2007/06/06

4,ストック (stok)

 チャイを飲んで身体を温めたところで、私たちはまたバイクに乗って走り出した。すぐに渡った橋には、色とりどりの旗がたくさんくくりつけられていて風になびいていた。
後から学習したことだけど、これはタルチョという。青、白、赤、緑、黄の5色からなり、祈願などのマントラが書かれていて、その中央に馬が描かれている。この馬は「風の馬(ルンタ)」だそうで、このルンタが風に乗って空を駆けて仏の教えを広めたり、願いを天に届けてくれると信じられている。並び順も決まっており、前述の5色の順番となるし、またそれぞれの色にも意味がある。青は空 、白は雲、赤は火、緑は水、黄は大地 を意味しているという。
 このタルチョは橋とか家の一番高いところ、または峠などには必ずある。タルチョが風にはためいて、雨風にさらされ風化していけばいくほど良いらしく、また新年などには新しいものに取り替えることもあったりするという。

 橋を渡ってからはいよいよストックの村に入る。これも後から分かったことだけど、この橋がかかっていた河は、あの“インダス河”だったという。何も知らない私はそのすごさに感動もできず、ただ河だけをキレイだなあなんて見ていた。もったいないことも時には起こる。まあ、後から知ったのだから充分なのだけど。
 河を過ぎたあたりは民家が点在していて、水分も感じられることろだったが、だんだんと砂漠のような緑もない乾いた台地がはじまった。なだらかにも見えるが道はずっとそれなりの勾配があった。

 「僕の姉さんの家に寄っていこう。同じ村の人と結婚して住んでいるんだ」
 「行っちゃっていいの?大丈夫なら寄っていこう!(お土産もあるし・・・)」

 図々しさだけは天下一品なので、何も遠慮しない。しかし、インドで培ったこの“遠慮しらず”はラダックではタブーというか、美徳ではないということは後になってだんだんと知っていくのであった・・・。

 もうここはバイクは無理なんじゃないかという小道にさしかかってもバイクから降りずに進んでいた。しかし、いい加減下りないとガタガタで進まないあたりまで来て、彼はあきらめてバイクを押しはじめた。家はまだ完全に出来上がっていないという。確かにある一角だけは壁も窓もできているが、部分的にまだ作っている感じだった。結婚してから作ったと言うその家はまだ確かに完成していなかった。

 「ジュレー!」
 ギュルメットのお姉さんは、急に来た外国人の私にさほど戸惑わずにお茶を入れてくれる。バター茶だった。おお~、初バター茶!現地で飲むバター茶の味はいかがなものだろう・・・。
 おいしい!お茶というよりスープのようだ。癖も別にない。飲みやすい味だった。
小さなお土産を用意していたので、お姉さんにあげれるいいチャンスとなった。聞けばお姉さんは二人目の子どもを妊娠中だという。お姉さんとは言ってもまったく自分の方が年上だった。旦那さんはインドの軍の仕事をしているので、いつもは配属になった駐屯地にいるようだが、数ヶ月に一度帰ってくるという。今は妻の妊娠もありラダックに戻ってきている。ただ、その日はちょうど不在だった。

 二十台半ばを過ぎた女性に子どもが2人いるなんて、むしろ普通だろう。驚くことではない。それに引き換え、私はいまだに自分にとっての新天地(ラダック)に足を運んだり、旅をしているわけだ。安定した生活などほど遠い。もちろん、好きでやっているのだけど。

 「お茶飲んで」
またバター茶を注いでくれようとする。え、まだ入ってるよ・・・と思っていると、お姉さんは言った。
 「ラダックでは、バター茶はずっと注ぎ続けて飲むのよ。飲んで飲んで」
言われるがままに私は少し飲んでは注いでもらった。なるほど、カップの中のお茶がなくなる前に注ぐなんて、そりゃあ日本で言うところのビールと同じだな。ビール党の私はそれなら手馴れたものだと安心した。が、バター茶はあくまでバター茶なので、ビールのように次々飲めるものでもない。
 う~ん、このままだと、“NOと言えない日本人”まっしぐらだった。バター茶の作法上、「もういらない」と言っていいのか分からない・・・。
 
 「そろそろ行こうか」
助け舟が入った。ふぅ~。命拾いした気がした。あのまま放っておかれたら、バター茶をめぐって私たちの“いたちごっこ”をいつ終わらせればいいのかわからず戸惑っていたことだろう。
 お姉さんとは話もできたし、まず一つ目の顔合わせを終えた。同じ村なんだし、また来るね~、という感じでお姉さん宅を後にした。
 
 バイクに乗って更に登っていく。そこらじゅうの畑がちょうど耕されているか、すでに何か数センチほどの芽が伸びていた。多くは麦らしい。点在する家々は白っぽい壁がキレイで、窓枠はエンジ色が塗られている。簡素な色合いが素敵だった。樹の生えていないあのはげ山がすぐ近くまできていた。どれくらい登ってきただろうか。村の一番奥の方にあたるところが僕らの家があるところだとギュルメットは言う。そして、今までよりも開けた場所に私たちは出てきた。中央には河があり、それなりに川幅もあった。

 「あれだよ!」 
そういって家の方を指差すギュルメット。しかし、家は2,3件あってどれだか分からない。
 「え?どのおうち?」
まあ、登っていこう。そういう感じだった。最近、雨がたくさん降った時に、河の水量が増して、橋が流されてしまったらしく、ここの河をまたがないといけないという。大きな石をみつけては歩いて渡る。
 「あ、あれが、僕のお母さんだよ」
少し小高いところにある家の前の崖っぷちに、一人のおばさんがこちらを見て立っていた。何か作業をしているようだった。
 その、小高いことろまで行くために、あと少しの坂をを登るだけなのに息が切れる。ぜんぜん登れない。これが高山での消耗具合か・・・。以前経験した富士登山の苦しみが思い出される。上に行けば行くほどきつかった。今ちょうどそれくらいなのだ。標高3600mくらい。

 「ジュレー!」
ようやく坂を登ってしっかりとした門をくぐると、お母さんとご対面。へぇ、この方がギュルメットのお母さまなのね~。思ったより年がいっているような気がした。もしくはそう見えるだけかもしれない。私は、背筋をのばし、しばらくお世話になります!というかんじで挨拶した。
 家に入って、さっそく荷物を降ろす。南インドから運んできたお土産物を渡そうとおもっていたら、ちょうどどこかからお父さんも現れた。目鼻立ちのすっきりした感じの素敵なお父さん。顔は焼けていて浅黒くたくましい。でも、物腰の柔らかい感じがある。一番驚いたのは、発せられた声を聞いてだった。ギュルメットの声と全く同じだっ!親子でそっくりの声をしている。低くて遠くまで通りそうなその声は、なんというか言うなれば、俳優のような声をしていた。これはこの2人の特別なものなのか。ちょっと驚いてしまった。

 さっき飲んだばかりだがチャイとバター茶をまたもいただく。そして話し始めて更に驚いたのは、お父さんはなんとまあネイティブなヒンディー語を話すこと。難しくって時々分からない。もしかしたらウルドゥー語っぽいのかもしれない。そしてお母さんもそこまでではないけどヒンディーが話せるのだ。ああ~、よかった!きっとはじめてのラダックで、細かいことをいろいろ聞かなければならないだろうこのお母さんと、基本的なコミュニケーションが取れることが分かった。胸を撫で下ろす私。

 北インドという土地のヒンディー語使用率は、南インドのそれとは桁がちがう感じがして恐れ入ったのだった。 ていうか、じゃあ始めっから北インドばっかり来てりゃよかったんじゃないの?って自分に小さく突っこんでみた。とは言え、縁と言うのはそんなもので、いつどうなるかわからないものだった。私だってヒンディー語をちょっとは勉強していても、それでも尚、南インドに強い縁があったから行っていた。
 まあ、その話は置いといて・・・。
 

0 件のコメント: