2007/06/04

はじめに dil to ladakh mein (ココロはラダック。)

 インドには、さまざまな魅力があるのですが、残念ながら、一言でそれが何であるのかを表現することは難しいことです。
 よく、「インドの何がいいの?」という質問を受けますが、いまだに躊躇してしまうのは、あまりにも複合的な魅力があって、一言に集約して伝えることはできないからなのでしょう。

 そもそも、“インド”って何なのか・・・。
たまたま、“国”としてひとつにくくられたインドを考えれば、そのように理解することはできるのですが、行政上のくくりでは、地理的にも、言語的にも、宗教的にも、その他さまざまな要素を考えても、地域によって違いすぎるので、一つの国であることすら不思議に思えてきます。
 特に、最近私が訪れたカシミール州のラダックなんて、ここはインドなのかと滞在中に何度も思ったほどです。確かにヒンディー語(ウルドゥー語と言ってもいい)が通じて、ヒンディー映画やドラマを見て楽しんでいるラダックの人たちのことを考えると、ここもインドなのだと思えるのですが、ヒンドゥー世界のいわゆる“インド”とは別世界です。
 ですので、そんなあらゆる文化を持つインドを、「私の経験」というコンセプトでひとくくりにして紹介することもできるのですが、いささか乱暴に思えてくるほど違うものなのです。ですので、ここで私のラダックでの経験を“インド”としてくくってその中に位置づけるのはやめました。ここでは、私がラダックで経験した生活をメインに紹介し、その中で見えてくることを読み手のみなさんに楽しんでもらいたいと思います。
 
 とはいっても、既に私の心は半分は日本人、もう半分はインド人!?と言っても過言ではありません。山ほど存在するインド好きの一人ですがディープな方でしょうか。でも矛盾しているようですが、前述の様に、何がインドなのかというのはひと言では説明できないと思っているので、“半分インド”と言ったところで何がインド的なのかははっきり言えません。だったらこんな表現は避けるべきですが、インドへの愛ゆえ、いつの間にかあらゆる意味でインド人のようになってしまったと言えば分かりやすいでしょうか。
 
 そんなインド好きの私が、渡印経験12年目にしてラダックへ行きました。そこは、本当にインドとは思えないチベット世界で、チベット仏教と山の奥~の荒涼とした乾いた大地の世界でした。
 私は、そんなラダックへ行くのに大した情報すら持っていませんでした。近年話題の「懐かしい未来」という本からの視点、つまりNGOが昨今のラダックのグローバリゼーションを懸念した語り口での視点というもの以外には、ずっと以前に読んだ藤原新也の「西蔵放浪」など、これら以外にはこれといった知識を持ち合わせてはいませんでした。(注:とは言っても「懐かしい未来」も事前には読んで行ってません。ハハハ。)

 地図だってインド政府観光局が出しているインド全図しか持っておらず、一番栄えた街であるレー以外には、自分が訪れる予定のストックという村すら載っていない状況。カシミール州の拡大部分を見ても、カシミール州の西南に位置するジャンムーや、西のシュリナガルまでは国道やそれに近い幹線道路が走っている都合から、地図上は地名が書かれていてにぎやかなのですが、同州の東に当たるラダックについては、“その他の道路”として細~い赤い色で記された道が一本だけ、ヒマーチャルプラデシュ州のKULLU辺りからKYELANGを通ってレーに至っているだけなのです。その道をレーからまっすぐ東へ行くとさっきのシュリナガルに至るという具合なのですが、その途中も特にいくつもの地名はありません。この地図の有様はインドにおけるラダックの位置づけをうかがい知るようなもなのかとさえ思えてきます。

 でも、実際にラダックへ行って見たら、その地図で言う“その他の道”上にどれだけの村が存在するか、どれだけの人々の生活が存在するかがよく分かりました。また、レーの街に着いてから、高山病が落ち着いた頃に、本屋に立ち寄り地図を探してみたら、「トレッキング・ルート」というくくりでならば、あるはあるはラダックの地図。立派なのがいくつもありました。そうなのです、本当に山の山の中なので、そういう明細地図のようなレベルだったら、ちゃんとあったのです。やっぱりインドは広いわけです。
「インドにない物はない」その昔、インドに初めて行くときに、高校時代の恩師が言ってくれた言葉を思い出しました。

 そんな訳で、事前準備をあえてしなかった私が飛行機を降りた瞬間、一人の青年のつてだけを頼りにレーの街のゲストハウスではなく、人々の生活に入って行って経験したラダックでの生活。こんな程度ではラダックやチベット文化のその筋の方々が読むと、素人じみていてまどろっこしいかもしれません。
 それでも、インド好きが高じてヒンディー語で人々と触れ合っていることによる人々との独特の距離感。また、何より私のインド経験で共通している「指定部族(セジュールド・トライブ)」とされているインドの少数民族の人々との交流であること。(ラダックも1990年代に指定部族になった)といった具合に、インドの少数民族の地を訪れては人々と触れ合ってきた私の経験をもってラダックを見たら、こんな風に見えるんだという視点でこの“ラダック生活経験記”を読んでいただければ幸いです。
 

 そして最後に、時に筆不精な私が友人・知人への近況報告を怠ってしまうことへの対策としても、ブログを利用したく思います。今までは、あまり他の人のブログすら見ることが少なかった私が、今更ながら自分のブログを立ち上げるなんて、自分でも驚いてしまう訳ですが、このように、旅に出た私を心配してくれている人たち、また、その土地で何を見ているのか感心を寄せてくれている人たちへ感謝を込めて、インド亜大陸を少しでも、一部でも紹介すべく、ラダックを書き綴って行きたいと思います。

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