どのくらい寝ただろうか。目が覚めてみてもまず頭痛が止まない。時に吐き気すらある。かといって吐くわけではない。でも気持ち悪いのだ。
起きるでも眠るでもなく横になっていると、ギュルメットやお母さんが起きた私に気づいて部屋に入ってくる。大丈夫?と様子を伺う。まあ、寝るしかないね・・・と返す私。お昼ご飯を出してもらったがほとんど食べられず手をつけなかった。食欲もない状態が続く。
色とりどりの模様があしらわれたチベット風ポット(魔法瓶)のお湯を汲んでもらっては飲んでいた。ポットからお湯をくべる力も今の自分にはない。起きるのもちょっと辛い。
そうこうしているとまた眠ったようだった。その繰り返しだった。深い眠りをとらなきゃという気持ちはあっても、今、この場で眠りの深さをコントロールする術を知らない。まあ、大丈夫じゃないかなとは思えたのがせめて前向きになれる要素だった。
こんな私にずっと付き合えるほど彼らは暇ではなかった。ギュルメットは私の部屋の入り口まできてこう言った。
「ちょっと仕事があるから30分くらい出てくるけど、すぐ戻るから・・・。深~い眠りが大切だからね」
しばらくしてお父さんも来て入り口でこう言った。
「畑の仕事があるから行ってくるよ。40分くらいで戻るから心配要らない。ゆっくり寝てなさい」
私は驚いた。まずその客人に対する気遣いや優しさに対して。出かけるごとに、いちいち自分の行動を細かく告げて、私が心配しないようにしてくれるのだ。そして、もうひとつ、彼らは2人とも“時間”と言う具体的な長さを見積って伝えてくれるのだった。二人は別々に来て私にそう言って行ったのだが、それぞれ必ず出かける時間を具体的に言っていったのだ。私はえらく感動して安心して眠っていた。ああ、全然問題ないです、私は寝てますので、いってらっしゃ~い。
お母さんは、とにかく私の傍に何度も来てくれた。なんてみんな優しいんだ。
私は大丈夫だよ~。とにかく寝ます・・・。 と説得力のない気だるい感じで応えていた。
少し、眠りも落ち着いた時だった。窓の外の門がキィーと鳴って誰かが入ってくる。女性だった。部屋の入り口から私を見るなり、ジュレー!と挨拶する。
ラダックの女性はみんな同じような民族衣装を着ていて、慣れないうちはどの人も同じに見えてしまう。だれか親戚なんだろうなって思っていた。それでも多分お母さんは私が誰なのか説明しているようだった。
すると、そのおばさんが私に向かって「ロートス、ロートス」と言っている。さっきまでこのおばちゃん2人はラダック語でなにやら話していたから、私には会話の文脈が全く読めない。でも、なんとなくどこかで聞いたことのある響き・・・ロートス・・・。
するとギュルメットのお母さんが言った。
「アバヤのお母さんだよ」
「・・・・・・・・、
え~~~~~!? アバヤのお母さんなの??」
私は高山病も忘れるような勢いで驚いた。アバヤとは妙な名前だが南インドでボランティアをしていた時に、毎日のように一緒にサッカーをしていた男の子の名前だった。彼らは施設では別の名前をもらっているので、本名を言われても残念なことにピンとこないのだ。
すかさず私は毎日一緒にサッカーをしていたこと。彼はものすごいセンスのいいミットフィルダーで、とてもいいプレイヤーであることなどを伝えた。きっとかれこれ何年もこの親子は会っていないはずだった。言われて見ればちょっと顔も似ている。それにしても笑顔が素敵なお母さんだというのが第一印象だった。
こうして、次々と親戚中が私の顔を見に来ることになる。
ロートスのお父さん、おばあちゃん、おじいちゃん。近所のおばちゃん。などなど。
またどのくらい寝っていただろうか。窓の外を見るとまだ明るかった。そんなにたくさんは眠れないものだ。気がついたら夜だったという時間にはまだ早いみたいだった。
そして、窓の外に見える家の門が、またキィーという音と共に開いた。ギュルメットが入ってきた。仕事から戻ってきたのだろうか。私は起き上がるべきか迷っていた。すると彼に続いてまた誰かが一緒に入って来た。若い男の子だった。
私は一瞬、本能的にヤバイと思った。どう考えても今までのお母さんやお父さんやおばあちゃんたちとは違う、若いお兄ちゃんが来てしまった。おいおい、勘弁してくれよ~。こっちは半ば病人みたいな状態。化粧は落ちきっているし、髪は乱れ放題で、寝起き丸出しの姿だった。ていうか今この瞬間まで、まさに寝ていた。この状態でそういう来客はキツイなあ・・・。“そういうって来客”ってなんだって話しだが、とりあえず私は慌てて起きて布団をかぶりながらも壁にもたれて座っておいた。もう、あきらめるしかなかった。
「どう?調子は?」 ギュルメットは聞きながら、私の前に座った。
「うん、まあまあ。でも頭はまだ痛いなあ。」 と私。すると、
「・・・アチョ! 何やってるの?中においでよ」 さっき一緒に来たお兄ちゃんに向かって、ギュルメットはラダック語で“お兄さん”の呼び名で呼んで部屋に入るよう言った。親戚のお兄ちゃんかな・・・。
恥ずかしがっているのか、遠慮しているのか、さっきまでノック一つしないで入ってきていた大人たちのそれとはちょっと違った様子で一人の青年が入ってきた。
「ジュレー!」
彼は以前にもギュルメットが私に話してくれたことのある従兄弟のお兄ちゃんだった。つまり、ロートスのお兄ちゃんであり、さっき来た笑顔が素敵なお母さんの息子だ。(当たり前か)
正直に言うと、さっき門から入ってきてヤバイと思ったのには訳があった。私はやみくもに“若いお兄ちゃん”に反応しただけではなかったのだ。どちらかというと、彼のその着ている洋服、“腰ばき”した太目のジーンズと、Tシャツの上に羽織られたハーフのダウンジャケットなどからかもし出ている、“オシャレな若者”の雰囲気。洗練されたスキンヘッドがちょっと伸びたようなヘアースタイル。そして、美しい眼がキラキラしていて、おまけに耳のピアスまでキラキラしていた。
正直、私はナメていた。何をナメていたって、それはつまり、こんなヒマラヤを越えてようやくたどり着いたこの高原の砂漠に、そんな“B-BOY”風のオシャレな青年がいるなんて想像もしていなかったのだ。いや、ちゃんと言えば、実はラダックやアルナーチャルプラデシュ州の若者が、すごくオシャレなことを私は充分に知っていた。南インドのその施設の若者たちを見ていたからだ。例えばジーンズの“腰ばき"はあたりまえで、カルバンクラインとかのロゴの入ったパンツを見せていたりする。それに、ヘアースタイルだっていつでも決めていた。みんな黒髪ってこともあって、なんとなく日本人のオシャレな若い男の子を思わせるような感じがした。
しかしだ、しかし、その現代っ子具合は分かっているつもりなのだが、なんかもっと洗練されていたのだ。だから面食らってしまったというのが、正直なところだった。クヤシイが、今のこの寝起きの私じゃぁ、かつての“B-GIRL魂”はおろか、オシャレにうるさい日本人なりの誇りすら“見せ付けて”対抗することもできなかった。せめて、ぐしゃぐしゃになった髪を鏡も見ずに想像で直すくらいしかできなかった。最悪だ。
私の負けです・・・。
何を隠そう、その昔。いや、大昔、私はいっぱしの“B-GIRL”を気取っていた頃があった。インドにハマる前はHIP-HOPが大好きな女であった。そうやって80年代の終わり、つまり自分の10代後半の人生を過ごした口だった。いや、今も実は好きだ。だから、多分そのプライドがくすぐられたと言うか、そんな不意打ちを食らった感じだったのだ。 久しぶりにその感覚が刺激された私は、何か高山病も手伝ってか衝撃は大きく、妙に新鮮な気持ちを味わっていた。