2007/06/11

10,よく働くおじいちゃんとおばあちゃん

 今日は何やら畑仕事をすると聞いていたが、ギュルメットのアバ レー(お父さん)とメーメー レー(おじいさん)が家の家畜小屋近辺の土方工事?をしていた。この家は下の谷を見下ろすような崖のちょうど上にあるのだけど、その崖際に、もうひとつト イレを作るということのようだ。今のトイレは家の二階にあるけど、こんどは離れに新しいトイレをと言っていた。だが、基礎から何から自分たちでやるよう で、特に業者の人たちが来ているわけではない。いったいどうなるのだろう。

 ちなみに、これがギュルメットの家で、裏には小高い丘があり、写真で言う手前の泥がほしてあるような部分が、実は家畜小屋の天井となっていて、よく見ると空気口の穴もある。
  脇には小屋に入っていく下りの入り口がある。ちなみに泥に見えているのは牛の糞であり、これはまぎれもなく干している状態で、いずれ燃料として使うもの だ。南インドなどでは家の泥壁やヤシの木に貼り付けてほしていたが、ここではとくに貼り付けるでもなく干しているようだ。


  そんな、家の庭であり、家畜小屋の天井であるこの場所は言わばテラスのように見晴らしがいい。下には谷をはさんで畑が広がっているし、中央には本流の川 が流れている。左手側にはあのストックカンギリが頭をのぞかせているし、手前の山々も波打つ地層をあらわにした山があたり一面を囲う。



 アバ レーはカメラを向けると照れながらもうれしそうな笑顔を浮かべた。窓枠のような木の枠を持って下に下りようとしている。足元には無造作に干された牛の糞、ゴーバルでいっぱいだ。



 メーメー レーと相談しながら、一見する何もないスペースに今から本当にトイレなり何かしらの小屋ができるかと思うとちょっと信じられない気がしてきた。ここの人たちは何でも自分でやるのか。こんな基礎まで・・・。
 見ていると、頑丈そうな糸で高さのレベルを見ながら四方を図っていた。用意してあったかその変にあったか分からないような木の細い棒を必要なポイントに指しては、糸を固定させて四方に張った。日本と同じように糸を使っているので嬉しくなる。



  そのエリアをもっと平らにするのか、おじいさんは、すきの様な道具で石がごろごろして硬そうな地面を耕し始めた。メーメーレーは何歳だろう。あまりに元 気な姿なので聞いてみた。すると70を超えているという。アバウトなのがまたミソであるが、たいそうしっかりしているはと感心させられる。そんなメーメー レーの働く姿がそうしても撮りたくなりカメラを向けた。現役バリバリの農夫というか、その気迫に圧倒させられた。百姓とは百の仕事をするから百章というと は聞いたことがあるが、まさに何から何まで自分たちでつくる暮らしが垣間見られた。

 
  そんな横で、ちょっと手をもてあましているのはギュルメット。下で使う泥を庭から運ぶよう仕事をいいつけられているが、私が見るに、その作業には今ひと つ身が入っていない。あんなにおきな身体をしているのにこういうことに使わず何に使うのだ~!と、えらそうに渇を入れてみるも、彼は肩をすくませてニヤリ とするばかり。せっかくの夏休みなのに、遊びにいけずにソワソワしているように見えるのは私だけだろうか。まあ、分からないでもない。若さとはそういうも のだよなぁ、と、少々同情しながらも、私は作業の成り行きを見ながら、案の定日向ぼっこしていた。人のこと色々言ってる私こそ、この通り、やっぱりのんび りと、何するでもなくいるわけだった。




  午後は、アビ レー(おばあちゃん)といっしょに、ちょっとしたお留守番だった。というのは、谷間の川沿いの親戚にあたる家の子が生後一ヶ月になるのでお祝いだと言う。 みんな総出で手伝いに行ってしまった。お祝いを済ませたアビ レーが戻ってきて私と一緒にいてくれた。アビレーはヒンディー語があまりわからないため、困ったことにお互いよく会話ができない。でも、こういうのには慣 れっこなので、何をするというわけでもないが、日向ぼっこして一緒に座っていた。ラダック語の1~10までを教わっては覚えてみた。なんとなく日本語の発 音に似ていてちょっと覚えやすかったので面白かった!

 アビレーのシワシワの顔は、そのシワの数だけ、人間性の膨らみを感じさせる、貫禄のあるものだった。焼けた肌は、山の民の証。どうしてこんなにもこの焼けた肌とシワが美しいのだろう。民族服を身にまとったその姿は、完璧なまでに“老いてこその美しさ”だった。


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