足しげくインドに通っていても、ラダックには行ったことがなかった。南インドのアディヴァシー(先住民族)の地に行くことが多かった私には、ラダックは距離的に遠いことと、季節によってはとてつもなく寒いから、旅の荷物が倍増することが気がかりだった。つまり旅の装備が全然変わってきてしまうことに、つい躊躇してしまっていたからだった。
「荷物は軽く」 が旅の鉄則で、いつもGパンすら持っていかない私。軽くて薄く、そして乾きやすいコットン素材の服をいつも着ていたし、足元はいつもサンダルだった。
とは言え、ひと口にサンダルと言っても、使い分けてはいる。“サルワル・カミーズ”(インド女性の民族衣装)などを着るとき用の“オシャレサンダル”と、山岳部や農村地帯用の“ビーサン”と言った具合に。まあ、こんなのどうでもいいではあるが・・・。
こんな調子でインドを歩いていた私だったので、その防寒に対する衣類の重さや、荷物のかさ張り方が億劫になる要因の一つでもあった。
でも、どうしてもラダックに行ってみたいという気持ちがおさまらなくなってきたここ数年、私はついにその重い腰を上げた!
インドへ行くのにはじめてGパンを履き、皮のベルトを絞め、サンダルの代わりにスニーカーを履いたのだ。 3月初旬だったから、成田空港までは充分に普通の格好だった。でも、インドで飛行機を降りたその瞬間、Gパンでは蒸し暑さを感じる。でも、その暑さを差し引けば、他にこれといって問題はなかった。10年以上前だったら、Gパン姿というのはいかにも“外人です!”とアピールしているような雰囲気があって、まさに“いいカモ”になったけど、これはもう過去のこととなりつつある。最近では、すっかり近代化してきたインド。都会の若者なんかはオシャレさんが増えたからだ。
南インドにて、仏教徒の子どもの寄宿舎でボランティアをしていた私は、3ヶ月程の滞在中に、ラダックでお世話になれる地元出身の友人を数人見つけることができた。
「自分も夏休みに帰郷するからラダックを案内するよ!」と、話はトントン拍子に進んだ。
5月初旬、一足先に友人たちはラダックへと帰省していった。南インドから2等寝台列車に揺られながら三日間かけてデリーへ。そしてデリーからマナリまでバスで十数時間。そこから今度は車をチャーターして、ヒマラヤ山脈一帯を越えるのに20時間程度かかるという。
南インドからの全移動を考えると、軽く1週間から10日はかかるタフな移動だった。陸路でラダックへ行くことも考えていた私は、それを聞いてすっかり気持ちが萎えてしまった。ここは南インドだし、今回は飛行機で行こうか・・・と。
というわけで、高山病が気になりつつも、“楽”を選んで飛行機でラダックに入ることにした。まして、南インドで、予定より長く滞在してしまっていた私は急に焦ってきていた。
ダメだ…、よく分からないけど、早くラダックへ行かなければ・・・!何にせき立てられていたのかは分からない。だけどそんな気持ちになった。だから、思い切って予定を早めてラダックへと向かうことにした。 バンガロール経由でデリーへ。デリーからレーという道のりだ。途中のデリーでは友人との再会も予定していたが、それもつかの間、一泊だけして翌日には飛行機に乗った。
6月6日の早朝、初夏のラダックへ向けて。
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